こんにちは、ヤンセンです。
今回はオルダス・ハクスリーの小説「すばらしい新世界」を紹介します。
ちなみに、すばらしい新世界はいくつかの出版社から出版されていますが、今回僕が読んだのは光文社古典新訳文庫版です。
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「すばらしい新世界」はディストピア小説の名作
オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」は、ディストピア小説の名作として知られています。他にディストピア小説といえば、「1984年」なんかが有名ですね。
人類の科学は日夜進歩を遂げており、素朴に考えると、それに伴って人間社会もより良い方向へ向かっていくと思えます。しかし、実際には科学の進歩とは別に、人類の政治的・文化的な変化によっては、必ずしも良い方向にはいかず、逆に悪い世の中になってしまうこともあるわけです。ディストピア小説は、そんな世の中を描いた小説だと思ってもらえるとわかりやすいと思います。
最近では、トランプ大統領の就任後にアメリカで「1984年」がベストセラーになるという現象が起きました。これは、アメリカの人々が「1984年」で描かれたような、全体主義や管理社会の到来を懸念した結果だと言われています。このように、ディストピア小説は単なる物語を超え、起きてほしくない未来予想図として読まれているという側面があります。
「すばらしい新世界」はディストピアか、ユートピアか
「すばらしい新世界」で描かれるのは以下のような社会です。
- 全ての人間は人工的に受精させられ誕生する、いわゆる試験管ベビーであり、家族とか親子といった共同体が存在しない
- 生まれたときから社会階級が決定しており、階級に応じた知性を持つように、胎児の生育がコントロールされる(意図的に酸素の供給を制限し、知能が低くなるように調整される階級も存在する)
- それぞれの社会階級に属する人間は、階級(=知性)に応じた仕事を与えられる
- 不快な感情は快楽薬「ソーマ」によって洗い流すことができる(ソーマの服用は管理者側も奨励しており、皆日常的に服用している)
この社会の住人は、各個人がそれぞれの能力に応じた仕事を与えられ、苦痛も不快もなく、病気になることも老いることもありません。(不老不死ではなく、一定の年齢で成長が止まり、老化せず死ぬ)
こうやって書くと、読者の方の中には、これはユートピアではないか?と思われる方がいるかもしれません。だってこの世界は、今の人類が目指している社会の姿そのもののように見えるのです。
もちろんそういう意見もありだとは思います。作者のハクスリーも、別に「この小説はディストピアを描いた小説です」とか言ってるわけではないでしょうし。でも、僕はこれを読んで、やっぱりここで描かれている社会がユートピアだというのには違和感があります。
ではなぜそう思うのか、以下に書いていきます。(以下の内容はあくまで僕個人の意見であり、これが絶対正しいと主張しているわけではありませんのであしからず。)
「すばらしい新世界」で描かれる社会に対する違和感
進歩のない世界を維持する必要はあるのか
「すばらしい新世界」で描かれる社会では、科学研究が著しく制限されています。
この社会で最も重視されるのは社会の安定であり、科学の進歩は安定した社会を揺るがす可能性があるとされているからです。
安定して維持できるようにデザインされた社会で、人間たちはその社会を維持するために働き続ける。ねずみの回し車のように、同じことを繰り返しながら生まれては死んでいく人間。
そんな社会に何の意味があるのでしょうか。想像すると虚しくなってしまいます。
科学技術の進歩を追い求め続けると、きっとどこかの時点で、人間にとって心地よい水準を超越して、やりすぎてしまうときが来ると思います。でもだからといって進歩を止めては行けないと思うんです。
人間のための社会か、社会のための人間か
「すばらしい新世界」で描かれる社会では、人間は、生まれてから死ぬまで、強く感情を動かされることもなく、苦しむこともなく、ソーマによって快楽を得ながら、ただ社会を維持するために働きます。
子供は工場で生産され生まれます。この社会には夫婦も存在しないため、生まれてくる子供は、おそらく人為的に選択された遺伝子によって誕生してくると思われます。
このように考えると、もはや人間のための社会ではなくて、社会を維持するための部品としての人間でしかないように思われます。
でも、そもそも社会システムというものは、人間の生活を便利で豊かにするために存在するはずのものです。社会を維持するための人間というのでは本末転倒です。
僕の違和感に対するハクスリーからの回答
本作の終盤には、上記の管理社会とは異なる「野蛮人居留地」からやってきた野蛮人ジョンが、この社会の管理者ムスタファ・モンドと対話する場面があります。
ここでの対話は、僕が抱いた違和感に対する、ハクスリーからの回答のような気がします。
「僕は不幸になる権利を要求しているんです」
「もちろん、老いて醜くなり無力になる権利、梅毒や癌になる権利、食べ物がなくて飢える権利、シラミにたかられる権利、明日をも知れぬ絶えざる不安の中で生きる権利、腸チフスになる権利、あらゆる種類の筆舌に尽くしがたい苦痛にさいなまれる権利もだね」
長い沈黙が流れた。
「僕はそういうもの全部を要求します」ようやくジョンはそう言った。
出典:光文社古典新訳文庫 すばらしい新世界 オルダス・ハクスリー著、黒原敏行訳
人間誰だって苦しいことは嫌です。でも、苦しみのない生が果たして人間らしいことなのでしょうか。ここでの対話を読んで、そんな事を考えてしまいました。
まとめ
今回はなんだか小難しいことを書いてしまいまいした。正直、自分には扱いきれないようなことも色々書いています。
この小説を読むまでは、ここに書いたことは考えたことも無いようなことばかりでした。それが、この小説を読んだら、自分の中で考えがワ―っと出てきて、こんな記事を書いてしまいました。
そんなふうに、今まで自分でも気づかなかった自分の考えが引き出されるというのは、良い読書体験だったのだと思います。
オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」は、SFとしても興味深く読める小説です。わりと読みやすい小説だと思いますので、ディストピア小説に興味がある方は一度読んでみてはいかがでしょうか。
それでは、また。